2019年12月31日火曜日

マイルス・デイビス風に振り返る青江の2019年

今年も皆さま、お世話になりました。
年末恒例、一年振り返り自叙伝ブログ。
今年も帰省の新幹線の中で書いてまして、メモ帳からの貼り付けでフォントや字の大きさが安定しません(笑)

毎年、ジャズの帝王マイルス・デイビスの自叙伝風に一年の振り返りをしたためていますが(読んだことがない方、雰囲気はこちらをどうぞ)
帝王、風なので、敬称略、妙に上から目線はどうかお見逃しくださいませ。

バックナンバーはこちら。矢沢永吉風の「成り上がり」風の年もあります。
2016
2017
2018

というわけで、2019年編です。長いのでお時間ある時にどうぞ!









まあ、聞いてくれ。


2019年も岡山の実家で正月を過ごした。
やはりだんだんと町は変わっていくが、いつだってあの頃の情熱を思い出すことができるんだ。

1月からすぐに活動は始まったが、なんといっても2月のソロワンマン、そして
ユースムースのシングル「My Girl」のレコ発ツアーとイベントだ。

ツアーはコンドウと2人で、アコースティックの形態で回った。
この時初めて、一本のマイクスタンドから二股に分かれている、例のヤツを使い始めた。
ある夜、ふとエバリー・ブラザーズのハーモニーを研究していた時
やつらがそのスタイルで歌ったのを見たんだ。
マイクスタンドをそれぞれに立てるとどうしてもコンドウと距離が空いてしまうからな。
ヤツとのハーモニーをより良いものにするため、そうしたのさ。
距離が近い方がコンドウの声が聴き取りやすくなり、よりしっかりとハモれる。そうだろう?

ツアー初日の京都RAGはとんでもない盛り上がりだった。
観客や共演者は初めて見るそのスタイルに打ちのめされたみたいで
2人でやるアコースティックライブの大きな自信になった。
オレの喋りも絶好調で、何を言っても爆笑さ。まったく、まいったぜ。

翌日からはドラムのカナメが合流し、高松へ向かった。
カナメはフジタユウスケの現場で知り合ったが、まったくイカしたドラマーだ。
昨年、地元の愛知に帰ってしまっていたが、壮行会での約束通り
オレはヤツを誘い、そしてヤツは最高のビートでそれに応えたんだ。

高松ラフハウスのコンジョーともカナメは旧知の仲だったので
その夜のライブもとてつもなく盛り上がった。
リハでは見せなかったハーモニーやリックがカナメから飛び出し
オレもコンドウもプレイに熱が入ったのを覚えている。

その盛り上がりのまま、大阪歌う魚でのライブでもとんでもない演奏を披露した。
大阪はユースムースの結成の場所でもあるが、いつだって最高のライブができるのさ。

東京に戻ったオレはいったんバンドから離れ、初めてのソロアコースティックワンマンを
渋谷のひまわり広場で開催した。
ただのワンマンでは芸がないと思い、自分の作詞や作曲のメソッドを披露したりもした。
初めての試みだったが、オレの頭の中でどういうことが起こっているかを
少しは見せることができたと思うぜ。

一息つく間も無く、次は「My Girl」のレコ発イベントだ。
イベントにテーマを設けるため、メンバー2人で活動しているバンドを
集めた。
ライブの盛り上がりはもちろんだが、アンコールでオレとコンドウが2人で披露した
「浅草キッド」はその締めくくりにぴったりだった。
もちろん、例のマイクスタンドでだ。
客はもちろん、共演者たちからも大きな拍手が鳴り止まなかった。


ライブをペースダウンする事なく、4月はmatildaのレコーディングを少し手伝った。
ユースムースでベースを弾いているヨシミや、vojoのタケがやっているバンドだ。
フルアルバムを作るため、バンドはベーシックを2日でかなりの曲数を録音していた。
ボーカルのミュウの歌詞を手伝って欲しいとヨシミに言われ、オレは引き受けた。

録音1日目の夜、約10曲の歌詞をディレクションしたが
ミュウの集中力は凄まじいもので、オレの助言をどんどん吸収していき
歌詞を完璧なものに仕上げはじめた。
まったく、大したヤツだぜ。

そのすぐ後に、今度はユウスケのレコーディングを手伝った。
といっても演奏や作詞ではなく、ライブレコーディングの司会だ。
ヤツとその完璧なメンバーが客の目の前で作品を仕上げていくのを、オレはただ
呆然と見ていただけだったがな。とても貴重な体験だったと思うぜ。

5月は毎年恒例の吉祥寺音楽祭のステージやコンテストの司会だった。
ユースムースは駅前のステージで演奏したが、オレたちは一曲目に
タカダワタルの「生活の柄」を演奏した。
関わりの深いこの街への気持ちを表すのにぴったりだと思ったからさ。
長老のカトウが演奏後、とても嬉しそうだったのを覚えている。

コンテストのアフターライブもオレたちユースムースが仕切った。
いつのまにか途絶えていた伝統を蘇らせたんだ。
かつての受賞バンドを呼び、おれたちはマミーローズと一緒に
憂歌団の「お掃除おばちゃん」を演奏した。お掃除おばちゃんの格好で、だ。
まったく、笑ったぜ。

その頃に、下北沢でタテカワとキズヒコのイベントにソロで呼ばれた。
どちらも昔から知ってはいたが、向こうが先輩ということもあり、一緒になる機会はあまりなかった。
ある日、共演したタテカワに
「次のイベントテーマは女装だが、おまえはやれそうだな」
と聞かれたので
「ああ、嗜むぜ」
と答えてやったのさ。
イベントは盛り上がり、3人とも女装のままで固く握手を交わした。
ちょうどその頃、コンドウはシャローナのメンバーとリバプールにいたが
つくづくオレたちは幅の広いバンドだと思ったぜ。そうだろう?


そのままオレはそのイベントのゲストからレギュラーに昇格し
8月にはタテカワの作った朗読劇を一緒にやったりした。
キズヒコのキャプテンズ、フジタユウスケとのスリーマンライブもこの頃だ。

盆には2月以来のヤマダアキヨシのイベントで
京都にユースムースで行ったり、忙しい日々は続いていた。

実はその頃までオレは夜眠れなくなったり、滅茶苦茶に飲んだり食べたりしていた。
新曲「レインボー」の評価は上々だったが
8月のスリーマンの頃は、オレの体は不規則な暮らしで太りきってボロボロだった。
楽屋でユウスケの事務所の社長、タカタクと話が盛り上がり
その勢いのまま、オレはヤツとダイエット勝負をする事になった。


その事が大きなきっかけになり、オレは自炊をし、
ストロングでヤバい酒からは少し距離を置くようにした。
まだまだ問題を抱えていたが、少しだけ調子は上向きになっていると感じていた。
オレはなんとか力を振り絞り「ベビオーライ」「グッド・バイ」の2曲を書き終えた。
「ベビオーライ」は2009年にユースムース用に書きかけたままだった曲だ。
そして「グッド・バイ」は太宰の遺作にちなんだタイトルだが、これも2015年末に書き始め、ずっと未完のままだった。
偶然だが、太宰が玉川上水身を投げたのが39歳の誕生日の6日前、
オレが「グッド・バイ」を書き上げたのは同じ39歳になる14日前だった。
生き延びた、ってわけだ。そうだろう?


vojoでレコーディングをしたのもその頃だ。
場所は去年ユースムースで録音した吉祥寺ゴックサウンドだ。
アナログテープで録れる環境は、vojoのようなバンドにぴったりだったのさ。
オレたちは2曲を録音し、その出来にとても満足した。
オレは急激なダイエットがたたり高熱が出ていたが、それを感じさせない熱い歌を録ることができたのさ。

10月には、イクミと合同バースデーイベントを高田馬場ディグライトでやった。
彼女はたまたま生年月日がまったく同じで、一昨年も一緒にイベントを開催した。
ベースにヨシミ、そしてドラムにvojoのリーを誘い、最高のステージになった。
女装したまま爆音でシャンソンを演奏したから、客で来ていたYK
「完全に頭がおかしいと思った」と呟いていたな。
まったく、笑ったぜ。

その10月の末に事件が起こった。
定期的に出演していた下北沢ラプソディに出演した時だ。
サウンドチェックに間に合わず、遅れて到着したオレに主催者が
「ヘイ、さっきアオエの師匠ってやつが覗いていったぜ?」
オレはコンドウと顔を見合わせたが、きっと何かの間違いだと思い忘れる事にした。

オープンまで外で時間を潰して、ハコに戻った時、声を掛けられた。
そうだ、テツヤがそこにいた。
2015年にオレたちに全ての基本を叩き込んだヤツが、ビールを飲んでいた。
コンドウも同じく声を失っていたが、オレたちは覚悟を決めて演奏をした。
いつだって尊敬する人物に演奏を見られるのはバツが悪いものだ。そうだろう?
このオレでも、だ。
だが予想を裏切り、テツヤはオレたちをとても高く評価してくれた。
その時、2月のツアーで感じた2人の演奏の手応えを、改めて実感したんだ。

11月はヨシミが他の現場で予定が合わず、トヨキに穴を埋めてもらったが
ユースムースは相変わらず過去最高の状態だった。
ユウスケ、そしてFMAの2人とビートルズを2日間で40曲ほど演奏した時は
さすがのオレも疲れたがな。
だがイベント自体は最高で、久々のオレの前説の評価も上々だった。



12月に入ると少し余裕ができたが、変わらずライブは続いた。
弾き語りのライブ納めは、オープンの頃からよく出演していたひまわり広場だ。
練馬に新しく店を作って、こっちは年明けに閉めると店長のカワミチから聞いた。
少し寂しくも思うが、オレはどこでも最高の演奏をするだけだ。そうだろう?

年末には最後の大きな仕事があった。
タテカワ、キズヒコとのイベントで、今度はオレが朗読劇の脚本を書く事になっていたのさ。
ギリギリまでオレの演じるヒロイン「久保萌香」のキャラクターをつかめず苦労したが、
なんとか書き上げることができた。
前回の脚本を書いたタテカワも喜んでくれて、オレもミニスカートがしっくりきていた。
とても良いライブ納めになったぜ。



振り返ると、今年は精神的、体力的には万全と言えなかったが、なんとか乗り切ることができた。
40歳、そしてユースムースの結成20周年を目前に、何かが高まっているのを感じている。
だが、オレは無理をしないぜ。
ただ目の前の事をひとつずつやるだけさ。出来るだけ丁寧にな。
それしかできないし、それをやるべきなんだ。
来年そうやって過ごせたら、オレももう少しまともな人間になれるだろうよ。


じゃあ、またな。






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