2016年12月31日土曜日

マイルス・デイビス自叙伝風に振り返る2016年


今年もみなさま、お世話になりました。
毎年したためてます、1年間を振り返る自叙伝風ブログです。
今年もジャズの帝王、マイルス・デイビス自叙伝風にしました。

まあ今年はなんといってもユースムースアヴェニュー再結成。
それにつきるかと思うので、ほぼ再結成への過程を書いたものになってしまいました。

マイルス自叙伝にならって、敬称略
さらには色々と誇張した表現も多々ありますので、暖かい目で見て頂けると幸いです。

ではでは、来年もよろしくお願いします。
良いお年を!



青江好祐







まあ聞いてくれ

2015年末にオレは青江好祐と女たちを脱退した。
様々な人間が引き留めたり、残念がってくれたりしたが
これはもうどうしようもないことだった。
とにかく前に進んでいくようにしないと、このオレでさえ
目の前が暗くなっていくような感覚を覚えたほどだ。

2016年のスタートは、アキヨシ、アカネとの関西ツアーだった。
アカネの演奏のサポートはもちろんだが、オレのメインはコンドウとのライブだ。

剃毛&また生えてくるというユニット名でバンド解散以来たまにステージをやっていたが、
コンドウは関西にあまり足を運んでいない様子だったので、声をかけたというわけさ。
ツアーは盛況だった。いささか飲み過ぎたがな。
1月末で夜はそうとう寒かったが、アルコールを摂取しすぎたせいで、夜中に信じられない冷や汗をかいて目が覚めたほどだった。
東京に来た頃は全く飲めなかったこのオレが、だ。
まったく、笑ったぜ。
そんな状態のツアーだったが、各地で失笑と絶賛を巻き起こしながら、またコンドウとバンドを再結成したらどうかという意見もチラホラと耳に入ってきていた。

たしかにオレとコンドウのチームワークは、長い時を経て再び固いものになりつつあるのを感じてはいた。
だが安易にやり直すなんて、まったくクリエイティブではないとオレは思っていた。そうだろう?

ツアー後、少し経って3月の頭に再び剃毛&また生えてくるでライブをやった。

渋谷のひまわり広場という、友人のカワミチがやっているハコだ。
2周年記念のイベントだったが、最初はコンドウとユースムースアヴェニューを復活して出演してほしいと言われていた。
だが、オレとコンドウがいれば名前はなんであれサウンドとハーモニーは変わらない。
結局、剃毛としてステージに立つことになった。
客は受付で誰を見に来たか言わないといけないシステムになっているので、客は恥ずかしそうにしていたが、
オレ達の演奏にカワミチも満足してくれたようだぜ。

その頃、実は何度かコンドウとスタジオには入っていた。
遊びの延長で、剃毛&また生えてくるでやっているカバー曲をバンドで演奏してみようという話になったんだ。
コーラスパートがもう一つ必要だったので、ベースは女たちのヨシミを呼んだ。彼女はベースプレイはもちろんだが、正確な音程でコーラスを歌える貴重なプレイヤーだ。

ドラムをどうするか迷ったが、今まで一度も一緒にやったことがないプレイヤーがいいと思い、モリに声をかけた。
モリはまだ俺たちが大阪で活動していた頃に知り合ったドラマーで、その頃ヤツはサザンハリケーンというバンドをやっていた。

少し先輩だが、ヤツらは信じられないサウンドで、俺たちが上京する頃にはメジャーな活動を繰り広げていた。
残念ながらバンドは解散してしまったが、その後もたまにライブハウスで見かけて話をすることはあった。
ドラムからパーカッションまでこなす、素晴らしいドラマーだ・

そんな風にサポートメンバーの二人が集まり、何度かスタジオに入ったが
ユースムースをやるつもりではなかった。
ただあくまで、青江好祐の次のソロ活動の形を模索していたんだ。

だが、ふと思った。
オレもコンドウも上京して12年たつが、
未だ故郷にも帰らず演奏を続けている。二人ともいつまでも元気にやってる保証はない、そうだろう?
再び始める時が来たんじゃないか、オレはそう思い始めていた。
そうして、オレはソロではなく
コンドウと再びバンドを始める決意を固めた。

3月末にコンドウの弾き語りを聴きに行った時、打ち上げでヤツにこう言った
「ユースムースではない新しいバンドを立ち上げる。メンバーでギターを弾いてみないか。イマイチだったら気にせず辞めればいい」
わかるだろう?サポートメンバーなら頼みやすいが、メンバーとして組むなら話は別だ。
オレは断られることを心配し、予防線をはったってわけだ。
チクショー、なんてこった。
だがヤツは快諾してくれ、バンド名は後日決めようという話になった。



俺は最近映像の編集にも凝っているが、
4月の頭に、コンドウのソロバンド、近藤光史とメガネーズのライブの撮影に行った。
そこで改めてやつの新曲「はじまるミステリーツアー」を聴いたんだ。

キーはAだが4度ずつ下がるコードや、内声が半音づつ四回下がる進行
これは、バンドの頃のオレたちがやろうとしていたサウンドそのものだった。
どちらかと言えばオレの得意分野だったが、いつの間にかコンドウもそいつをモノにしてたってわけだ。


後日コンドウに、色々考えたがバンド名はユースムースアヴェニュー以外無いと思うと伝えた。
ヤツも同じ事を思ったようだぜ。


そうして、バンドを再結成する事を決めたオレたちは
いつ正式に始めても良いように、夏に岡山と高松に行く計画を立てた。
まずはアオエの故郷でライブってわけさ。
高松ラフハウスにも1月にコンドウを連れて行ったばかりだったので
あの素晴らしい雰囲気がバンドを後押ししてくれそうな気がしたんだ。

吉祥寺プラネットKでフジタユウスケにばったり会ったとき、バンドを再結成してツアーに出るという話をしたら
「ヘイ、アオエ。オレを置いてツアーに行くのはないんじゃないのかい?」
と笑ってやがる。
まったく、まいったぜ。
結局は京都、ファイナルの東京含めての4ヶ所をユウスケと回るツアーになった。

ツアー用に新曲が必要だったので、去年末に書いた新曲、ハニームーンを録音した。
一度女たちで演奏していたが、この曲にはコンドウのギターサウンドが合うのはわかっていたからな。
オレたちはまずガイドになるデモを録音してから、各楽器をどんどん本テイクに差し替えていく方法をとっているが、
時間がなかったので、モリがドラムを録音する時にはコンドウのギターとオレの歌しか入っていない状態だった。
かなり苦戦していたようだが、結果的には信じられないほどいい演奏になった。

自分探しの旅、と銘打ったツアーで、最後にユースムースを再結成するつもりだったが
旅の途中でももちろん葛藤はあった。
あんなに素晴らしかった青江好祐と女たちを辞めたオレが、古巣に戻ることは本当にクリエイティブなのか?と、さすがのオレも弱気になっていた。

ツアー最終日前に、SNSで再結成を発表したが、思った以上に沢山の人間が喜んでくれた。
ライブも無事終わり、ついにオレは再びユースムースアヴェニューの一員になったってわけだ。

夏の終わりから秋にかけて何本かライブをやり、オレたちは新曲の準備に取りかかった。

ツアーで演奏した「恋のつづき」と「Let’s Fishing」
そして去年末に作ったデモの中から1曲だ。

とはいえ、オレの創造力は酒のせいでかなり落ち込んでいた。
ミニアルバムにするつもりだが、リード曲になるものがない。

4月に聴いた「はじまるミステリーツアー」のサウンドが忘れられなかったので、コンドウにアルバムに入れようと話をした。
最初はやつも考え込んでいたが、結局は録音に同意してくれた。
歌詞がいくつか固まっていなかったので、オレが少しアイデアを出した。
これは過去には無かった事だ。二人が協力し合うことなんてな。
「オレは最高の曲を書く、お前は黙ってギターを弾いてやがれ」
これが当時のオレだったのさ。

デモ録音を終え、モリのドラムを録音した。
ヤツは腕が立つ事はもちろんだが、ドラムキットもそれは素晴らしいものを所有している。
コントロールルームにスネアを5、6個並べて
「さあ、どれがいい?」
とニヤついてやがる。まったく、あれには笑ったぜ。

一日かけて、モリのおかげで最高のドラムが録音できた。
そのレコーディングは今も進めている。来年の頭には完成するだろう。


12月にはシュノーケルとの2マンライブがあった。
ボーカルのニシムラが最近になってビートルズに興味を持っていると聞き、それに絡めたイベントをやったんだ。
ビートルズカバーのセッションも上手くいき、それはすごい熱気だったぜ。
夏のツアーからまだ3ヶ月ほどだが、サポートの二人も含めて、どんどんバンドらしくなっていっている手応えを感じていた。

そのすぐ後に、フジタユウスケのワンマンにもコンドウとゲスト参加をした。
ゲストと言っても、気がつけば10曲ほどを演奏していたがな。
ユウスケが前々からやりたがってたアカペラをはじめとした、コーラスがメインの楽曲だ。
他に参加していたカナメもキョンピーも、全員がハーモニーを合わせることに集中した良いライブだった。


そんな中、同世代のミュージシャンの訃報を聞いた。
オレは一度か二度ほど対バンした程度で、会えば挨拶をするがそこまで
親密な仲ではなかった。
だがそいつのサウンドは素晴らしく、色々な人間に
「ヤツは天才だ」
と聴かせてまわってたほどだ。
まだまだこれから素晴らしい曲を生み出そうというときだったのに、本当に残念だ。
だが、いつまで生きていられるかなんて誰にもわからないんだ、そうだろう?
明日はオレかもしれないし、コンドウかもしれない。
とにかくミュージシャンは生きている限り良い演奏や作品を残し続けるしかないんだ。

とにかくオレはバンドを再びやっていく事に決めた。
2月には解散ライブ以来のワンマンライブがある。
一歩ずつ、自分の音楽をさらに先へと進めていけるようにやるだけだ。
そうだ、一歩ずつだ。

それじゃあ、またな