2018年12月31日月曜日

マイルス・デイビス自叙伝風に振り返る青江の2018年


今年も一年、皆様にお世話になりました。ありがとうございます。
感謝感謝で、今年最後の、ていうか初ブログ投稿ですね。すみません。
今年もこれだけはなんとしても、と帰省の新幹線で年末ブログを書き終えました。

毎年、ジャズの帝王マイルス・デイビスの自叙伝風に一年の振り返りをしたためていますが(読んだことがない方、雰囲気はこちらをどうぞ)
気がつけば今年で9回目!ぼちぼち10年なんですね。

バックナンバーはこちら。矢沢永吉風の「成り上がり」風の年もあります。
2016
2017



元ネタに忠実に登場人物は敬称略ですがご了承くださいませ。
今年もほぼユースムースアヴェニューの話が中心です。
来年2月には近藤君と二人でツアー、そして吉祥寺でバンド編成でのレコ発イベントを予定してます。

2019年も色々と歌ったり喋ったりしていこうと思いますので
何卒応援をよろしくお願いします。
ふんわり気にして頂けるだけでも嬉しいです。
ではでは、良いお年を!













青江好祐 自叙伝 2018年








まあ、聞いてくれ


2018年は比較的穏やかな一年だった。

渋谷HOMEのイガラシと、ユースムースでベースを弾いているYOSHIMIの誕生日を
祝うライブでスタートしたが、
その後も仲間たちの様々なイベントに声がかかり演奏した。

ユースムースの演奏とコーラスはますます凄いことになり
My Girl」「My Sweets Road」「ジャノメ」といった新曲を次々とライブで披露していた。

My Girl」は2016年、バンドを再結成すると決めた時にコンドウが持ってきた曲だ。
「まるでアオエみたいな曲だ、そうだろ?」
ヤツはそう言ってメガネを光らせていたが、
聴いてみるとたしかにメロディーのフックはオレがよく使うテクニックを使ってあった。
だが、ヤツの持ってきたデモテープには歌詞がなく
「ライブでもナナナで歌わせるつもりか?」
と言ってやっても良かったが、オレが歌詞を書くということで落ち着いた。

イントロのベースのフレーズからもともと「My Girl」というタイトルがついていたから、
女性目線の内容で仕上げる事にした。
結局その作詞に一年半くらいかかったせいで、やっと2018年に披露できたってわけさ。

オレたちがやる共作は、どちらかがほぼ完成まで持っていったものに、もう一人が少し手を加えて
より良くする、といった形がほとんどだが
今回のように歌詞と曲を完璧に分業で仕上げたのは初めてだ。
コンドウも作曲の腕は上がったようだが、まだ歌詞に関してはオレに分があるみたいだな。


6月にはフジタユウスケのバースデーワンマンライブにソロで参加した。
メインはルパン三世のコスプレだ。もちろんルパンの曲も歌ったがな。

そうそうたるメンバーにさすがのオレも少し怖気付きそうになったが、社長のタカタクが持たせてくれたワルサーP38型のライターのお陰で、
無事オレはユウスケのケーキとお客さんに火をつけたってわけさ。

そのままの流れで、7月にはユウスケと一緒にビートルズトリビュートのイベントを行う事になったが、
その時にはじめて、ファーマーズマーケットアベニューというバンドと一緒に演奏した。

ギターと作曲のサトウコバヤシと、歌と作詞のワタナベの二人組だ。
どちらもビートルズを愛していて、ワタナベはまだかなり若いが、ポール・マッカートニーの出待ちをして、彼の姿を一目見ただけで涙を流すようなイカした女だった。

それぞれのバンドで演奏した後、最後はこの4人だけでビートルズをカバーした。
ユウスケがドラム、オレがベースという普段担当していない楽器だったが、ユウスケはドラムを初めてステージで演奏するとは思えない素晴らしい演奏を繰り広げていて、まるでリンゴ・スターが乗り移ったみたいだった。
まったく、たいしたヤツだ。


イベントが終わると、オレとコンドウは再び曲作りに取りかかった。
7月に初披露した「テルミ」以外にも「テクノロ爺さん」「吉井川」「天才デカダン」といった、オレが書いた曲を中心に編曲を重ねた。

色々と試行錯誤を重ねながら、コンドウとその作業をおおいに楽しんだが、難解な曲が多く、完璧に纏めるには至らずいくつかはそのままになった。
完成形まであと少しなので残念だったが、7月のイベントの影響もあり、オレたちが次に向かうサウンドを掴みつつあるのは確かだった。


息抜きに下北沢の仲間のバーへ行った時に、偶然、ドラムのウツミエリと再会した。
青江好祐と女たちで一緒に演奏して以来、数年ぶりだったが、会わない間にヤツも色々とあったようで、
ずいぶんと大人になっていて驚いた。
素晴らしいプレイヤーが今もまだ音楽への情熱を失わずに持っている事を知れて、その夜は美味い酒を飲めたってわけさ。



秋にはユースムースで大阪と高松で演奏をした。
大阪は大学軽音時代の後輩の企画だったが、ヤツが音楽を続けていて、今でもオレたちを慕ってくれているのは嬉しい事だった。

そんな事を思っていたせいかもしれないが、ライブ前に時間があったので、コンドウと二人で15年ぶりに大学の軽音学部を訪ねた。
コンドウとユースムースアヴェニューを結成した場所だ。
部室はさすがに新しくなっていたが、建物のほとんどは当時のままで、
オレにしては珍しく感傷的な気分になってしまった。
そうだ、ここから全てが始まったんだ。

高松はいつも熱狂的にオレたちを受け入れてくれる場所だが、今回ももちろん素晴らしいライブになった。
メンバーは夜中に食い物をもとめて街に繰り出したが、
オレはラフハウスのコンジョウと朝まで飲み明かし、歌詞やメロディについて多くの事を語り合い、再会を誓って別れた。


ツアーから戻ったら、ユースムース、フジタユウスケ、そしてファーマーズマーケットアベニューの2人で
再びビートルズトリビュートイベントを開催した。
7月と内容は変わり、今度は五人でビートルズカバーを中心に20数曲を演奏したが、
オレはさらにライブ前に前説もやった。
ビートルズの10年弱の歴史を、なんとオレは20分ほどで説明したのさ。
普通のヤツなら「ウィズ・ザ・ビートルズ」あたりで時間切れがオチだろうが、とにかく、オレはやりきったんだ。
7月よりもそれぞれの意思疎通がスムーズになり、ライブはそりゃあ大盛況だったぜ。

さらに12月のユウスケのクリスマスワンマンのオファーも受けていたので、内容もその日に決めなくてはいけなかった。
しかも今度は特に歌うわけではなく、何かしらのパフォーマンスで貢献してくれというリクエストだ。
色々とアイデアはあったが、社長のタカタクに
「ミニスカサンタで踊るしかないと思うぜ?」
と伝えたら、タカタクはニヤリと
「奇遇だな、オレが考えてた事とほぼ同じだ」
と言ったんだ。まったく、笑ったぜ。


ミニスカサンタで再び観客に火をつけた翌日は、
ユースムースアヴェニューのレコーディングで、
来年2月のツアーとイベントで売り出す「My Girl」を録音した。
吉祥寺で、今時珍しいアナログテープで録れるスタジオがあったので、二日ほどで仕上げた。
吉祥寺を拠点にしているオレにとっては、まさに地産地消のCDができつつあるわけだ。

年末も忙しく、新代田クロッシングで、珍しくオレの仕切りで弾き語りのイベントを開催した。
同じ年齢のイカしたヤツらを集めて、年内で店を辞めてしまうケンチュルに捧げた夜になった。

長く続けていると、こういう別れも増えるが、それ以上に新しい出会いがあるから、そんなに落ち込む事はない。
オレたちと別の道を行くヤツだって、新しいステージでまたイカした事を始めようとしているんだ。
それぞれに懸命にやっていれば、またどこかで再び出会う事もある、そうだろう?



来年はライブはもちろんだが、そろそろ溜まった曲を録音する段階に来ていると感じてる。

もちろん方向性やアイデアは、まだたっぷりと練る必要があるが、大事なのは音楽自体がオレたちを連れて行くだけのパワーを持っているがどうかだ。
オレたちが音楽をどうにかするんじゃなく、溢れ出る音楽にオレたちがどうにかされるのが最高なんだ、そうだろう?

オレ自身はなかなか満足がいく曲が書けずにいるが、やっとの思いで書いた曲のタイトルは「燃えているゴミ」だった。

そうだ、オレはまだ燃えているのさ。ゴミなのも間違いないがな。



じゃあ、またな。